駒場時代

1979年に東大理科一類に入学した当初は、勉強する意欲はあったと思う。
物理学科に進学していた兄からは、「普通に勉強していれば、進学振り分けの点数は80点以上になるはず」と言われていた。実際、1年の夏学期は、第2外国語のドイツ語も優を取るほど真面目にやっていたと思う。しかし、駒場の同じクラス(か隣のクラス)にいたある学生との出会いが、勉強意欲を著しく減退させた。
当時の1年の必修の数学は、解析学と線形代数だったが、教え方が極めて不親切で、解析学は「クラスの半分が落ちこぼれる」と言われていた。私は、それなりに勉強したが、理解は浅かったと思う。数学の講義、数学演習の講義に、古田幹雄という学生が参加していた。彼は、教室の一番前に座り、ノートも開かず、ポケットに手を突っ込んだまま講義を聞いていて、時々、「先生、そこ間違ってます」とか言うのである。噂では、彼は高校時代に「解析概論」を読破してマスターしており、大学に入ってからは数学の自主ゼミを主催している、と言う話だった。
私は、高校時代、ほぼ数学、物理、英語しか勉強してこなかったので、それなりに数学はできるつもりだったが、彼に出会って絶望した。天才なのである。私がいくら勉強しても一生足元にも及ばないだろう。実際、古田幹雄先生は、もちろん立派な数学者となり、東大数学科の教授となるのである。
私は前向きな勉強意欲を喪失し、日々麻雀に明け暮れる生活となった。