通産省機械情報産業局電子機器課への出向
出向の経緯
工業技術院傘下の各研究所は、毎年数名の研究者を中央官庁、外郭団体(NEDOなど)に出向者を送り込んでいた。
1995年度に、通産省機械情報産業局電子機器課に併任出向した。
1995年度は科学技術庁の海外派遣制度の年齢上限(35歳)だったので、海外に行きたくて、USCSのDavid Hausslerに内諾をもらっていたのだが、部長が私を推薦順位2位にしたので、行けなかった。その代わり、出向の打診があった。
出向先は、前前任者が麻生秀樹さんだったので、相談した。なんと言われたかは、よく覚えていない。甘利俊一先生にも相談した(多分、たまたま甘利研究室に遊びに行ったときに聞いた)ら、「麻生君も行ってきたところだし、猿山見物のつもりで行けば良いのじゃないか?」と言われた。高級官僚を猿呼ばわりはさておき、「見物」ではないのである。自分が猿になって猿山で修行するという話だったので、これは酷いアドバイスであった、、、、
出向を受諾してから、阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が起こった。地下鉄サリン事件は、霞ヶ関に向かう通勤途中の地下鉄が狙われてサリンが撒かれて死者・重症者が多数出たのだから、他人事ではない。しかし、「サリンでビビったので出向は拒否します」とは言い出せず、出向することになった。ちなみに、サリンが撒かれたのは9時前の列車で、官庁を狙ったのだとすれば、中央官庁の標準的な始業時間が9時30分であることを実行団体が知らなかったのではないだろうか?
通常残業省
私は「課付」という不思議な身分だったのだが、仕事上は技術班に所属していて、技術班長の課長補佐が実質的な上司だった。班というのは、課の中にいくつかある係のようなもので、それぞれに「班長」がいる。班長は、役所的には課長補佐という役職を持っている。総括班は、どの課にも必ずあり、総括班長は課の筆頭課長補佐と見なされていた。
当時の経済産業省には事務官と技官というはっきり分かれた身分制度があり、名刺には「通商産業省⚪︎⚪︎局△△課 課長補佐 通称産業技官 山田太郎」などと書かれていた。課長、班長(課長補佐)の各ポジションは、それぞれ事務官が就くか技官が就くかが決まっていた。電子機器課は技官が課長で、隣にあった電子政策課は事務官が課長で、所掌が協力を必要としながらも衝突するので緊張感のある協力関係(ライバル)にあった。総括班長はどの課も事務官が務めており、技術班がある課では、班長は技官である。
ちなみに、より強力な身分制度として、キャリアとノンキャリアというのがある。キャリアは、原則、国家公務員上級職試験(現在の総合職試験)合格者で、入省後1年間は「1年生」として飲食店厨房での「おいまわし」同様の修行をするのだが、2年目からは係長になってしまう。ノンキャリアは、中級職及び初級職の試験を合格した方々で、中級職は専門職とも呼ばれていた。現在の制度は多少、違っている。
通商産業省は、当時、「通常残業省」と言われるほどで、電子機器課は、残業地獄だったのだが、たまたま私が出向した時は、上司?の技術班長(Sさん、課長補佐)が早い時間に帰る人だったので、それほど酷くなかったのかも知れない。その後、技術班長がNさんに替わって、通常皆が終電まで仕事する部署になってしまった。特に何もない日は、終電ギリギリに職場を飛び出していくのである。週に1〜2回は、「本日中」とかいう「発注」(役所内の他の部署などからの作業・調査の依頼)が20時ごろにやってきたりして、2時まで残業、などという状態だった。当然、電車で帰れないので、タクシーで帰るのだが、タクシー券(役所が入札で特定のタクシー会社と契約して、多分割引でタクシー券を確保していた)が電子機器課に豊富にあったわけではなく、若い官僚は役所に泊まったりもしていた。私は、別ルートでタクシー券をもらっていたので、時々若い官僚に1枚あげたりしていたけど。
出勤時間は9時30分なのだが、電子機器課での運用では、前日、22時!を超えて残業した場合は、その超過時間分だけ、翌日遅刻しても良い、と言われていた。実際には、2時に帰ったからと言って午後に出勤するなどということは、とても出来なかったが。
夕食は、地下の食堂などで食べるのだが、みんなでピザの出前を取ったりすることもあった。1名あたり300円の食事用の金券のようなものが支給されるので、それを活用することができた。
出向直後の4月に娘が産まれたので、出向中は、家族に色々迷惑をかけたと思う。
歓送迎会
中央官庁では、キャリア官僚の多くは2年に一度、5月に定期異動がある。もちろん、他に臨時の異動もあるし、ノンキャリアや出稿者は4月や他の時期に異動したりする。
電子機器課で職員の異動があると、歓送迎会が必ず開かれた。歓送迎会の1次会は、電子機器課の部屋で行われる。課のメンバー以外に、関連団体(*)の担当者や責任者などがゾロゾロと部屋にやってきて、ビールで乾杯し、どこからか調達した料理・おつまみが机の上に並べられる。
さて、ここからが酷い話になるのだが、昔の話ということで、、、、
1次会を取り仕切るのは、総括班である。1次会のビールは、いつの間にか総括班に蓄積されたビール券を使用して調達される。料理・おつまみの一部は、関連団体からの「差し入れ」である。当日の午前中などに、総括班の1年生(*)が関連団体に電話をかけ「焼き鳥をお願いします」「アイスクリームをお願いします」などと連絡していた。また、料理・おつまみの一部は、おそらくビール券を使って地下の食堂から調達されていたのだと思う。ビール券で料理が買えるのか?と思われるかもしれないが、当時の通産省の食堂では、支払いにビール券を使うことができた。食堂としてみれば、ビールを現金で飲む客は大勢いるので、売り上げをうまく処理すれば、ビール券で料理を売っても困らないのである。噂によれば、この制度は、通産省の会計課長が食堂に「できるはずだ」と要求して始まったそうだが、、、、?