CBRC設立の経緯

電総研での隣の部の部長が「通算省がバイオインフォマティックスのセンターを作りたいと言っている」と言われ、通産省の勉強会に参加させられた。これからはバイオインフォマティックスが大切だから、2001年に3総研ができるのに伴って作られる、お台場の臨海副都心センターに研究センターを作るのだそうだ。当初、この話は、同じ工業技術院の生命科学工業技術研究所に相談が行っていたらしいが、この話に絡んでいた部長が、「バイオインフォマティックスなら浅井だろう、電総研も議論に参加するべきだ」と考えたらしい。何回か勉強会に出るうち、このままでは、いろいろ雑用を引き受けさせられたあげく、実験生物学者の手伝いをさせられるだけになってしまうかもしれない、と危惧するようになった。
そこで、バイオインフォマティックス側の代表の候補として、京都大学からRWCPへ移っていた、秋山泰さんを巻き込むことを思いついた。「将来、場合によってはセンター長候補にもなれる格好の人物がいます。元電総研で、京都大学助教授になっていた秋山さんは、今RWCPにいるので、ぜひ勉強会に呼びましょう」と言って、秋山さんも参加することになった。
当初は、京極好正先生をセンター長として、ウェットとドライを両方やるバイオインフォマティクスセンターの設立が検討されていた。しかし、議論を進めていくうちに、通産省生物化学産業課が、「センターの中のチームリーダーは皆、外から有名な実験生物学者を連れてくるから、お前たちはどこかのチームにバラバラに入って働け」と言い出した。もともと、通産省への出向や通産省のプロジェクトに参加して、通産省との付き合いには少し疲れていて、距離を取りたいと思っていた。それでも、当時は、まだ存在しなかった、バイオインフォマティックスの研究者が集まって切磋琢磨できる場所を作れるチャンスだと思って、勉強会に参加していたので、これはとても飲める条件ではない、と考えた。幸いにも工業技術委院の担当の官僚が、「それならドライだけで別のセンターを作りましょう」と言ってくれて、センターを2つ作る方向で頑張ることにした。
ところが、誰とは言わないが、「電総研の連中が京極先生がセンター長では嫌だと言っている。失礼な話だ。」などと言う風評を関係者に広めていた。私たちは京極先生が嫌だったのではなく、元々ドライの研究者がリーダーとなるチームをいくつか作らせてもらいたかっただけで、センターは1つでもよかったのである。誤解を解くために、秋山さんと2人で、京極先生のところに説明に伺ったのだが、すでに我々について悪い印象を持たれているのか、初対面だったのにもかかわらず、あまり相手にされなかった。京極先生とは、その後2つのセンターができた後に、何度もお会いして、ある程度、我々の考え方は理解していただけたと思う。
その後もいろいろなことがあったが、工業技術院と電総研の後押しあり、京極先生の生物情報解析センター(BIRC)と我々の生命情報科学研究センター(CBRC)の2つのセンターが設立されることに決まった。センター長については、「2001年4月の時点で31歳の元京大准教授がセンター長になれば、産総研の目玉になりますよ」などとアピールしていたら、目論見通り秋山さんが指名され、設立の準備が本格化した。CBRCの設立準備は電総研で行われたので、2001年から採用する研究者の人事プロセスなどは全てデンソー研の中で行われた。秋山さんは総研所属ではなかったので、浅井が、センター準備室長に任命され、その後は実質部長待遇で産総研の幹部会などに参加した。秋山さんは、産総研発足前に電総研に異動してきたのだが、それは後のことである。